三木 悠也
駒大苫小牧 / 2004年・2005年・2006年 夏の甲子園
2004年春、私は駒大苫小牧高校に入学しました。
札幌出身の私が駒大苫小牧を選んだきっかけは、香田監督との出会いでした。香田監督と茶木副部長がわざわざ私の中学校まで来てくださり、「一緒に全国制覇しよう!」と誘ってくださいました。中学生時代、大した選手じゃなかった私なのに、認めていただいけてとても嬉しかったのを憶えています。これが私の高校野球の始まりでした。
しかし実をいうと、その時の駒大苫小牧は、秋の大会でエース宮田率いる「シシャモ打線」の鵡川高校に手痛い敗北を喫したばかり。道内強豪校とは言え、あまり良いところが無かったというのが正直なところでした。
2004年春 鵡川高校 宮田隼 (現、エコアハウス営業部)
そんな駒大苫小牧に入学して3カ月が経ち、夏の甲子園が始まりました。
信じられない事が起こりました。
宿敵鵡川を地区予選で下し、さらに全道大会を勝ち抜き甲子園に出場した駒大苫小牧が、そのまま甲子園の頂点に上り詰めてしまいました!
「白河の関を越える事はない」と言われた甲子園の優勝旗を、先輩たちが北海道に持ってきてしまいました!
2004年夏 駒大苫小牧 岩田聖司 (現、エコアハウス工事部)
今から思うとすごい事なのですが、アルプススタンドで応援していた私は、この「快挙」を快挙としてなかなか実感できずに戸惑っていました。優勝旗が史上初めて北海道に!と大騒ぎするニュースを見ても、なぜか他人事のように不思議な感覚になったのを覚えています。ついこの前まで中学生だった私は、事の大きさがあまり理解できていなかったようです。
ところが、甲子園から帰ってくると北海道じゅうが盛り上がっていました。連日テレビや雑誌に自分の高校や先輩たち、そして香田監督が登場していました。さすがに、母校の偉大な実績を実感し始めました。
その時のヒーローがエースの岩田さん。
今でこそエコアハウスの同じ部署で一緒に働き、普通に話しをていますが、この時の岩田さんは雲の上の存在。紛れもなく「スター」でした。話しかけるなんてとんでもない!近づくのもはばかる存在でした。
勢いに乗る駒大苫小牧はその翌年も甲子園の優勝旗をかちとりました。夏の甲子園2連覇です
57年ぶり、史上6校目(戦後2校目)の2連覇。
「みんな最高だぁ!」と喜ぶ林主将、「何で優勝できたかわからない(笑)」とニコニコしている香田監督。
2年生になり背番号14をもらってベンチ入りしていた私は、今度ばかりは仲間たちと大いに喜びを分かち合うことができました。遅ればせながら、この頃ようやく駒大野球部の一員という自覚が芽生えていたようです。
甲子園から戻り街じゅうが戦勝ムードに沸き立つ中、林さんを含め先輩方が引退し、新チームが始動しました。私はショートの2番でレギュラー入りです。
さぁ、ここからが本番です。甲子園3連覇目指し、戦いの始まりです。
秋の大会、全道優勝
明治神宮大会、全国優勝
国体、全国優勝
公式戦無傷の17連勝!
破竹の勢いで次々と勝利をもぎ取り、まさに絶好調でした。駒苫日本一!の旗標は日本中に翻りました。
苦しい戦いも数多くありましたが、どんなに得点を先行されても「絶対逆転できる!」とチーム全員がゆるぎない確信を持って戦っていました。今から考えても、これは凄い事だと思います。後輩の木野田君が、自分の手記の中で「チームが心を一つにして戦う野球は、『負ける気がしない』ほど強くなることもできれば、逆に目を覆いたくなるほど弱くもなる。」と言っていましたが、本当にその通りだと思います。
2007年夏 駒大苫小牧 木野田光紀 (現、エコアハウス営業部)
そんな矢先、3年生になったばかりの春、ちょっとつまずいてしまいました。
出場権を獲得していた春の選抜を辞退することになりました。部外の生徒が引き起こした不祥事が理由でした。香田監督から淡々と出場辞退の決定を告げられた時には落ち込んでしまい、チーム全体も求心力を失いました。
でも長い活動休止の後、気を取り直して5月から再起動。最後の夏をがむしゃらに戦い、何とか無事に甲子園出場を果たすことができたのは不幸中の幸いだったと思います。
最後の甲子園で私が一番印象に残っているのは、マスコミで注目を浴びた早稲田実業との決勝戦ではなく、3回戦の青森山田戦です。
青森山田 042 100 011| 9
駒大苫小牧 010 102 132|10
序盤の大量失点に臆することなく、闘志を燃やし続けて9回裏の逆転まで粘り抜きました。
投手陣の田中将大も6イニングを投げ相手の猛打に負けず5奪三振と頑張りましたが、私は、勝因はチームがこの戦いの中で生まれ変われた事だったと思っています。全員の心と闘志が一つになれた時に苫駒の放つパワーは計り知れない。いろんな動揺の中で見失っていたそのチカラがようやく帰ってきたからこそ勝てた。
私はこの一戦で、ようやく本来の苫駒に戻れたような気がしました。
もう何も怖いものはありません。快進撃が続きます。
準々決勝 東洋大姫路(兵庫県代表) 5-4
準決勝で智弁和歌山(和歌山県代表) 7-4
そして、決勝は早稲田実業との戦い。
夏の3連覇を目指す私達、駒大苫小牧。
初優勝をかけて挑戦してくる早稲田実業。
田中将大VS斎藤佑樹、白熱の投手戦。
斎藤佑樹投手の球は本当に打てませんでした。それでも8回にホームランを一本打てたのは良い思い出になりました。
私の本塁打で同点にはなりましたが、試合終了の延長15回まで追加点が取れず苦戦。そして翌日の再試合でもあと一歩のところで得点できず、優勝を逃してしまいました。力を出し切りましたが及ばず、とても悔しい思いでした。
敗北に終わった最後の夏
振り返れば、香田監督の口癖だけが繰り返し、繰り返し頭の中をよぎります。
「実際に試合でプレーするのはお前達なんだから、人に言われたことをやるんじゃなく、自分で考え行動しなさい。」
その言葉は、甲子園の戦いの中で私の支えになりましたし、今の仕事にもとても役立っていると思います。 監督のこの言葉を思い起こすたびに、「気力」「やる気」「闘志」がわいてきます。今はエコアハウスでマイホーム新築の現場監督をしていますが、「施工品質日本一」の家づくりを成し遂げていくためには、そういう部分ってとても大切だと思います。香田監督には野球以外にもたくさんのことを学ばせていただきました。
本当にいろいろなことがあった高校野球3年間でした。目まぐるしく、いつも全力疾走でした。
甲子園2連覇、
公式戦無傷の17連勝、
延長15回再試合、
甲子園準優勝、
2度の不祥事、部活休止
普通の高校生では体験できないことを、数多く経験させていただきました。良くも悪くも、ぜいたくな高校時代だったと思います。
両親、香田監督、先輩、チームメイト、応援し支えて頂いた方々に本当に感謝しています。
ありがとうございました。
三木 悠也