前田 健登
北海道女満別高校 / 2012年の春
道東の小さな町、女満別
野球部員はたったの11人の女満別高校
私は、小学生のころから一緒に野球をしてきた朋友・二階堂誠治(現 ツルハ旭川)と共にこの高校を選びました。
彼、二階堂は(少しは?)有名な投手として地元では評価されていました。 二階堂の女満別高校進学の噂は、あっという間に地元に広がり、聞きつけた野球少年たちが女満別にこぞって入学してきました。
おかげで部員数は一挙に充実しました。 とはいっても、ギリギリ紅白戦ができるくらいの人数に膨らんだだけです。 でもこれは、女満別高校にとっては画期的な出来事だったようです。
これが、私の高校野球の始まりでした。
それまで支部予選敗退ばかりの女満別高校でしたが、1年生の秋にはなんとか全道大会に出場できるようになりました。
この高校はじまって以来の全道進出でした。
さらに翌年、2年生の夏の大会では「北北海道」の準決勝まで駒を進めました。 朋友・二階堂をはじめチームのみんなの顔つきが変わってきました。 このとき女満別高校は、まさに絶好調でした。
支部大会レベルから全道レベルへとランクアップするにつけ、目標がたくさん見えてきました。
身体の大きさ、スタミナ、パワー、技術・・・道内の強豪チームと相対するたびに、すべてに不足していることを自覚させられました。 新たなトレーニングを取り入れるべく、模索が始まりました。そこで、まず最初に行ったのが食事の改革。
女満別高校名物 「なったまご飯」!
いやいや、決して怪しい食べ物ではありません。 ただの卵かけご飯(納豆入り)です。
これをググっと増量して練習前に食べるようにし、ウェイトトレーニングにも精を出すようにしました。 思ったほど体重は増えず成果は上がりませんでしたが、ワンランク上のトレーニングに挑戦し始めている自分たちが嬉しくて仕方がない、そんな私達でした。
あと、女満別高校名物といえば、もう一つあります。
それは、雪上紅白戦!
雪上紅白戦の話を聞きつけると、近所の親切な農家さんが、重機を馳せてグラウンドの雪を飛ばしに来てくださいます。 そのあとは自分たちでタイヤを押したり引いたりしながら、グラウンドを平らにします。 その(ある程度)平らになったグラウンドで行う雪上紅白戦は壮絶な練習です。
ゴロが転がるたびにイレギュラー。 球足が速いと、ほぼ捕れません。
打撃では、詰まったアタリをしてしまった時には、冷え切った手が、感覚がなくなるくらい痛くなります。
悪条件を極めた雪上紅白戦ではありましたが、それでも楽しくて、楽しくて、みんなイキイキと練習していました。 でも、逆に考えれば、これこそ素晴らしいトレーニングだったと思います。こんな悪条件下で練習を極めれば、他の高校にはない高い技術が身についたかも知れません。 とはいえ、地元の皆さんのご好意と協力に支えられて初めてできる練習です。 そうそうわがままも言えません。
野球部の冬の活動は、もっぱら地域貢献です。 「練習行く前に地域のゴミ拾い」、そして「雪が降ったらご高齢のお宅に訪問し除雪をお手伝い」
これが冬の部活動のメインメニューでした。
そんな私たちのもとに、ある日、一本の電話がかかってきました。
「第84回春の選抜高校野球大会、21世紀枠の候補に入りました・・・」
最初は何のことかわからなかったのですが、どうやら全国で9校が甲子園への21世紀出場枠にノミネートされ、母校がその中の一校に入ったとのこと。 そんな話を聞いても私は半信半疑、「候補に入っただけでしょ・・・」と、笑い飛ばしていました。
ところが、忘れもせぬ 2012年1月
授業中の学校に新聞記者やカメラマンの方々が押しかけてきました。
何事かと思い話を伺うと、何と! 当校が21世紀枠に選ばれたとの事。 選ばれた理由は、小規模校という事、そして私達の地域貢献の実績を評価していただいたとの事でした。
夢のようでした。時間が経っていくうちにだんだん実感が湧いてきました。
「甲子園にいける!」 本当にとても嬉しかった。
2012年春の甲子園初戦、相手は九州代表の九州学院でした。
結果は6-0で敗北。 一瞬で終わった感じがしました。 とは言え、今までの野球人生の中で一番楽しかったのが、この試合でした。 投手の二階堂は12本の安打を許したとはいえ九州学院を相手に10個も三振を奪ってくれました。 私も思いっきり戦いました。 相手の好守備に阻まれヒットにならなかったとは言え、思いっきりスイングし、あの大きな甲子園球場の奥深くに打球を飛ばした時には胸が躍る思いでした。 本当に良い経験をさせてもらいました。
この時北海道からはもう一校、北照高校が甲子園に進出していました。 東北の強豪、光星学院を相手に奮戦していました。 その北照のなかでひときわ光っていたのが名捕手の和田君でした。 素晴らしい選手だと思いました。 その後、彼とエコアハウスで共に働き、同じチームで野球を楽しむことになるとは、その時は思ってもいませんでした。
そして「最後の夏」 私の高校野球は、実にあっけなく幕が閉じました。
紋別高校との初戦で..まさかの支部予選一回戦敗退。
負けた瞬間は「本当に終わった?」、「まだ次があるんでないか」と敗北を受け止められずにいました。 支部予選一回戦で負けたことなんてかつて無かった事なので、信じられずにいました。
そんな私たちに
「俺のせいで負けてしまってごめん・・・」
最後のミーティングで、監督が泣きながら、そう言いました。
その一言で堰を切ったように涙が出てきました。 号泣しました。
監督の言葉と、大粒の涙と、
これで高校野球が終わったと実感しました。
いまはエコアハウスで野球をさせていただいてます。
この後、天皇賜杯の全国大会も控え、日本一を目指すチャンスにも再び恵まれています。 エコアハウスで仕事のかたわら野球ができることを、自分に与えられた最後の幸運と覚悟を決め、今まで以上に精進していくつもりです。