山田 順也

北海道鵡川高校 / 2009年の春

山田 順也

今でもはっきりと覚えています。 あれは2002年の春。
当時、私は小学校5年生でした。その年は鵡川高校が21世紀枠で選考されて甲子園に出場した年でした。私の母親の友人の息子さんが鵡川高校野球部のレギュラーメンバーとして出場すると聞き、その晴れ姿をテレビで観戦しました。
バッターボックスにはその息子さん。
打った打球は内野へのゴロ。
気迫のヘッドスライディング。
バッターアウトで試合終了。
鵡川高校の選手は悔し涙を流していました。 その姿が当時の私にはとても輝いて見えたのを今でもはっきりと覚えています。 この感激の瞬間は同時に、私の心の中で進路が決まった時でもありました。 鵡川高校野球部のどんな時でも全力疾走する姿に憧れました。

 

中学校へと進学した時も、鵡川高校に入学して必ず甲子園に出るという目標はかわりませんでした。

甲子園を目指している高校は全国で約3,920校です。 夏の甲子園に出場できるチームは49校なので、甲子園への道のりは簡単なものではありません。 しかも 鵡川高校は室蘭支部で駒大苫小牧と同じ地区予選の高校です。 当時は、駒大苫小牧高校が04年05年と甲子園連覇という偉業を達成していました。 まさに無敵の強者でした。 ですが当時の私は子供ながらに、勝手な期待を抱いていました。 「自分が高校へ入学し3年生になるころには駒大苫小牧も部員ががらりと変わり、甲子園への切符を掴むチャンスが広がるのではないか」と。 まさかそんな幼い期待が現実のものになるとは、今から思うと驚くばかりです。

 

中学を卒業し長年の目標であつた鵡川高校へ入学すると、そこは異国の世界でした。

野球部は寮生活。 3年間の寮生活は、お菓子やジュース、ゲームや携帯電話の禁止等々、ストイックで厳しいルールは「今どきの若い子」にとって苦痛なものでした。

チームメイトとの365日、日々の厳しい練習。

しっかりと自立心を持ちながら寮生活を乗り越えていく事が、野球部員の最初の課題でした。 それでもやがて仲間が増え、寮友同士の信頼関係が増し、全員が自然に心を一つにして、甲子園という舞台を目指す強いチームへ成長していきます。 これが鵡川高校野球部の強さの理由かもしれません。

 

2008年に3年生が引退し、新体制になった2年生の秋

鵡川高校は着々と勝ち進み、秋季北海道大会室蘭支部を制しました。 2年ぶりの全道大会への出場です。

当時の私たちは自信に満ち溢れていました。

「自分たちはどこよりもたくさんの練習をしてきた! 必ず甲子園に出る!」 そんな強い気持ちを、私だけでなく、仲間たちみんながはっきりと持っていました。 何より団結力がありました。 「絶対に負けない」という気持ちで挑み! 勝ち進み! とうとう決勝戦へ。

全道大会決勝戦の対戦相手は、北海学園札幌。 結果は3-1 鵡川高校は優勝し、2009年の第81回選抜高等学校野球大会への切符を掴む事ができたのです。

それは同時にあの頃~小学校の時に抱いた夢を実現することができた瞬間でもありました。

 

「甲子園には魔物がいる」という言葉があります。

実際に私は甲子園でも背番号をもらい、代打という形ですが試合にも出る事ができました。 対戦校は花巻東高校。 当時の対戦ピッチャーは現在シアトルマリナーズで活躍をしている菊池雄星投手でした。

山田 順也

結果は空振りの三振。

その時の景色は正直覚えていません…たくさんの観客の声援、大きなバックスクリーンが自分を襲ってくるような感覚…そのようなプレッシャーは今まで経験することがありませんでした。 「これが甲子園の魔物か…」

感じ方はそれぞれかもしれませんが私にとっての魔物は緊張でした。 試合は5-0で完封負けというあっけない幕切れでした。 ですが誰一人涙は流していませんでした。 当時の監督の佐藤茂富先生は 「夏に必ず戻ってくる!だから砂は持ち帰るな!」 と激励してくださいました。 その言葉に支えられ、この時全員が前向きな心を失うことなく 「また甲子園に立つ」 という気持ちを持ち続けることができました。

しかし、3年生最後の夏の大会は南北海道大会1回戦、対函館工業戦5-4での敗戦…

「あっけなかった…」「悔しいけどもう終わった」 うれし涙ではなく悔し涙がこぼれて、涙と一緒に私たちの高校野球生活は終わりました。

山田 順也

昨年、胆振東部地震があり、母校があるむかわの町も被災しました。

鵡川高校野球部の生徒達は、町の復興の為に練習を行わずにボランティア活動をしてきました。  そしてそんな過酷な環境のなかでも、今期の全道大会で10年ぶりの出場を果たしてくれました。 鵡川高校野球部の団結力、チームワークが実った瞬間だと感じました。 被災の苦しみや悲しみの中にも一条の光を見出した思いでした。

2002年の春に21世紀枠で甲子園に出場した時にも、鵡川高校は 「廃校の危機を乗り越えて鵡川の希望の星に」なりました。 小学生だった私にも、感動と、希望と、甲子園への道すじを与えてくれました。 鵡川高校はいつも、むかわの光でした。

だから鵡川高校! 頑張ってください!

むかわ町が元気になり、鵡川高校野球部が強くなり、また私たちの時のように甲子園の土を踏みしめる時が来ることを、心から祈念し、応援しています!!

 

エコアハウスに入社した私も、私の立場で鵡川の被災の現実に日々立ち向かっています。 エコアハウスの一員として地震に負けない家づくりの一翼を担っています。 その甲斐あって、昨年の震災では私たちがご提供した厚真・むかわのお住まいはすべて震度7の地震に負けることなく、お客様の命と暮らしを守りました。 これからも更に努力していきます。

山田 順也

山田 順也(エコアハウス営業部)

2009年の春 北海道鵡川高校