宮田 隼
北海道鵡川高校 / 2004年の春
私が入学したのは、鵡川高校が21世紀枠に選ばれて甲子園に初出場した2002年。
4月から入る野球部ですから、先輩たちが甲子園でどんな戦いを見せてくれるのか、21世紀枠の甲子園には興味津々でした。 入学の準備をしながら、「春の選抜」がはじまるのを今か今かと待っていました。
いよいよ3月26日、初戦の三木高校戦
私は、テレビの前に釘付けになりました。 凄い戦いでした。 ひとたび火が付くと止まらない鵡川の「シシャモ打線」を目の当たりにしました。
これが鵡川の打線か! 武者震いが止まりませんでした。
そして二回戦の対広島商業高校戦では、絶対に諦めない・常に全力疾走で戦う鵡川高校の闘志を見せつけられました。
内野の凡打であろうが何だろうが全力疾走、絶対に闘志を失わない選手たち。 私は衝撃にも似た感動を受け、4月から始まる高校生活に大きな夢を抱いたものでした。
「シシャモ打線」という言葉は、北海道の野球ファンなら一度は聞いたことがあるかと思います。
これは単にむかわ名物の「ししゃも」から適当に付けられたのものではありません。 旬の季節になると、むかわの街の店頭には、ししゃもが隙間なくすだれ干しにされます。 そんなむかわ町の元気な風景・むかわに生きる人々の喜びが、いつしか鵡川高校の切れ目ない・粘り強い連打に喩えられるようになったと聞いています。 とてもありがたい話だと思います。
4月に入学してからお世話になったのが佐藤茂富監督でした。
とても厳しい監督でしたが、私を含め、生徒たちへの思いやりがとても強い方だったと感じています。 野球の練習はもちろんのこと、挨拶・礼儀などを含め、生活指導に特に厳格な方でした。 佐藤監督は、鵡川高校の指導にあたる前は砂川北高校におられ、同校を何度も全道優勝に導いたと聞いています。 その実績は、当時の野球界で注目の的だったそうです。 私達は、そんな実力のある方に3年間びっしりと鍛え上げられました。 私達が選抜甲子園に出場することができたのも、監督のご指導の賜物だと思っています。 とても恵まれていたと、いまでも感謝しています。
鵡川高校は、悲願かなって2004年の甲子園「春の選抜」に出場する事ができました。
開校以来2度目の甲子園への道のりはとても晴れやかであり、しかし厳しいものでした。 私自信にとってもこの戦いは、人間的に大きな試練を超えることができた有意義な時だったと思います。
壮絶だった試合の一つひとつを今でも鮮明に憶えています。
夏の大会で全道を制し、勢いに乗る「南の覇者」駒大苫小牧高校。
そして「北の覇者」旭川大学付属高校。
甲子園から帰ってきたばかりの彼らは自信に満ちあふれていました。 また、近づきがたいほどの勢いすら感じました。
私達が高校最後の戦いを甲子園で飾るためには、これら強豪校に打ち勝たねばなりません。 そんな戦いをこれから挑むのだと思うにつけ、身が引き締まる思いでした。 また、エースであることの責任と不安、重圧に押しつぶされそうになる自分を、この時ほど心細く感じたこともありませんでした。
そんな時に、「なにくそ! 鵡川は絶対勝つ!」と、仲間たちの気合、頼もしい笑顔。
仲間たちの覇気に触れるたびに、背筋がピシャっと伸びる感じがしました。
鵡川の「シシャモ打線」を信じ、仲間を信じ、監督を信じ、応援してくれるむかわの人々を信じる事。 これこそが私のモチベーションなのだと心の底から気づかされたのも、この時でした。
「北の覇者」旭川大学付属高校との戦い。
私が先発投手として臨む秋の大会・二回戦。 旭大付属の先発は田沢選手、素晴らしい投手でした。 ご存知の方も多いと思いますが、彼は後に埼玉西武ライオンズに入団します。
私も田沢選手も全力で戦いました。 苦しい局面もありましたが、地元むかわの皆さんの熱い声援と味方の打線に支えられ、私はなんとか投げ切ることができました。 本当に、みんなに支えられて勝てた試合だったと思います。
そして決勝戦。こんどは「南の覇者」駒大苫小牧高校との戦いです。
この試合を制した者が、明治神宮へ、そして来春の甲子園・春の選抜への出場権を獲得します。
駒苫は本当に強いチームです。 私達は序盤に3点を先制されてしまいました。 駒苫の先発ピッチャーは、エースの岩田聖司選手。岩田選手の投球は、なかなか付け入るスキを見せません。
しかし、絶対に諦めない・常に全力疾走で戦うのが鵡川高校。
粘りに粘った末、ついに「シシャモ打線」が炸裂しました。 同点に追いつき勢いに乗ったところで、私の出番。 苫駒打線を頑張って抑えぬきました。 打線は更に火を吹き中盤に逆転をして7対3で勝利。 念願の選抜甲子園への出場の夢が叶った感激の瞬間でした。
2004年、春の選抜甲子園 愛媛県代表の八幡浜高校との初戦に勝ち抜き、2回戦では地元兵庫県代表の社(やしろ)高校との対戦。
さすが地元代表校です、アルプススタンドは応援に駆け付けた人でビッシリ。 応援や歓声が地響きのように聞こえる程でした。 これが甲子園の迫力なのかと、実感しました。
社高校の先発は坪井選手。後に筑波大学から千葉ロッテマリーンズに入団した好投手です。 対する鵡川は私が先発投手でした。
先制点を取って9回ツーアウトまで1対0で凌ぎました。 あと一人で勝利!
しかし一瞬のスキを突かれました。 土壇場で同点を許してしまった悔しさは大きい!
しかし絶対諦めない! ここからチーム全員で必死の攻防が始まりました。
激戦の末、延長14回。 力尽きました。 言葉にならぬ程、悔しい思いでした。
2004年、最後の夏
室蘭支部決勝戦で再び対戦した駒大苫小牧高校に、鵡川高校は完敗。
駒大苫小牧のエース岩田聖司選手は、昨秋の大会の時よりもはるかにレベルアップしていました。 球威も、コントロールも、変化球のキレも、とてつもなく進化しているのがベンチからもはっきりわかりました。 この時私は、ケガでベンチにいました。 岩田投手の好投を見るにつけ、彼と戦えない事が無念でなりませんでした。
サウスポー岩田投手に完封されて母校は7対0でコールド負けを喫しました。 苫駒はこの半年間で、言葉で言い尽くせないほど強力なチームに進化していたようです。 苫駒はその後順調に勝ち進み、甲子園に出場し、北海道勢として史上初の全国優勝を果たしました。 なんと!苫駒が、優勝旗を初めて津軽海峡のこちらまで持ってきてくれました。
普通なら、そんなチームと対戦できたことを、むしろ喜ぶべきなのでしょうが、私は冷静ではいられませんでした。 彼と戦えなかった事が、「最後の夏」の最大の禍根として残りました。
2019年の岩田聖司(現、エコアハウス工事部)
でも、野球人生ってわからないものですね。
いまは岩田君と一緒に野球をやってます(笑)
神出設計エコアハウスで、共に施工品質日本一の家づくりに精を出し、共に軟式野球日本一めざし、練習に汗をかき、笑いながら、励まし合いながら、楽しい日々を送っています。
本当にこんなこともあるんですね、 二人を再びめぐり合わせてくれたエコアハウスには、感謝の気持ちでいっぱいです。 これからが本番という気持ちで、私はエコアハウスで頑張っていきます。
あと、今年はもう一つ嬉しい事がありました。 去年の胆振東部地震でグランドや寮が被災し、野球どころではない状況のもと、鵡川高校野球部は10年ぶりの全道大会出場を果たしてくれました。OBとしてこれほど嬉しい事はありません。 頑張れ鵡川高校! 頑張れ!むかわの皆さん。
エコアハウス野球部一同、いつも心から応援しています。