野球部手記

太田 聡

北海道砂川北高校 / 1994年夏

太田 聡

もう25年以上も前の事ですが、当時の砂川北高校(現砂川高校)は同地区の滝川西高校と並びいわゆる強豪校でした。

当時の野球部を率いる監督は佐藤茂富先生。砂川に大きな家を新築して野球部の生徒たちが下宿する寮を自費で作り、寝食を共にしながら野球の指導に当たっておられました。自分もこの監督の指導を受けてみたいと熱望したのが砂川北高校への入学を志したきっかけです。

甲子園に出場したいという思いは、子供の頃からの夢でした。

 

佐藤茂富監督の指導は、とても的確で厳しいものでした。

グランド内では常に全力疾走。寮生活では挨拶や礼儀、私生活面を厳しく指導されました。

監督は「野球でレギュラーになるだけでなく、社会に出てからレギュラーになれるようにがんばりなさい!」といつも言っていました。怠けたり弱音を吐いたりすると容赦のない「叱咤激励」が飛び、ルール違反や身勝手な行為などは最も許されない行為として猛烈な雷が落ちました。

でも、叱られるたびに監督の純粋な気持ちを垣間見ることができました。監督は、私たちに大きな期待を持ってくれている。そして、私が監督を信頼する以上に、その何倍も監督が私を信頼してくれているのではないかと。

今から思い起こしても、佐藤茂富監督の大きさ・懐の深さは、はかり知ることができません。

砂川北高校時代の野球だけでなく、社会に出てからの今もこの経験が、私の土台になっています。

 

 

入学した1992年の夏に、さっそく甲子園に出場しました。この時は「ゴジラ」こと松井秀喜さんが星稜高校で活躍していた年です。

入学したての一年生ですから、もちろんベンチ外の出場です。のちにプロ野球や社会人野球にすすまれた先輩方の練習や試合を見て衝撃を受けたのを覚えています。

砂川北高校の関吉正人さんの放った左中間への大きなホームランは夢のようでしたね。彼はその後オリックスブルーウェーブに入団されました。先輩方の健闘で砂川北高校は北陸高校(福井県)に対し4-0と先制していましたが、終盤で大きく逆転されてしまいました。その時の球場の応援はすさまじかった。あの迫力は今でも忘れられません。相手の応援で周りの声が聞こえなくなるくらいでした。これが甲子園かと気圧されてしまいましたが、きっと出場している先輩方も同じだったと思います。

これが甲子園!全道大会では味わうことができない雰囲気でした。

試合は悔しい結果でしたが、この時の衝撃は私を強く揺さぶりました。選手として甲子園に出場したいという思いが一層強くなりました。

太田 聡

新チームになり、1年生の秋からベンチ入りすることができましたが、同地区にあったライバル校の滝川西高校にずっと勝てずにいました。とにかく、隣校の滝川西に勝たない事には地区予選どまりのまま。甲子園どころか北北海道大会にも手が届きません。このころの空知って、すごい選手がいっぱいいたんですよね。

そして、とうとう最後の夏を迎えることになりました。

 

「最後の夏」

私たちは、入学した1992年の夏以来2年ぶりにようやく北北海道大会に出場することができました。北空知地区大会では滝川西とブロックがわかれたため、順調に勝ち進む事ができました。順調に勝ち進むことで、チームに勢いがついてきました。

そして予想した通り、北北海道大会の決勝で滝川西と対戦することとなりました。ここで勝った方が甲子園に行きます。

滝川西は春にも甲子園に出場しており、春夏連続出場を狙う気力がこちらにも伝わってきます。「打倒、滝川西!」で二年間やってきた私達にとってはこの時が高校野球最大の挑戦でした。宿願を果たし勝利した時はこの上ない喜びでした。

太田 聡

甲子園では1番打者、センターで出場しました。

1回戦は春夏連続出場の江の川高校(島根)との対戦でした。我々が終盤まで試合を優位にすすめていましたが、最終回に同点に追いつかれる嫌な雰囲気。

2年前の試合を思い出しました。同じような展開から最終回に逆転負けした苦い経験が頭をよぎりましたが、こんどは逆に9回裏サヨナラ勝ちを決める事ができました。2年前のリベンジになったでしょうか?ともあれ、苦しくも痛快な勝利でした。

 

2回戦はまさかの北海道対決。

 

憶えている方も多いと思いますが、1994年の北海高校VS砂川北高校戦。夏の甲子園で北海道の代表校2校が「北海道一」をかけて雌雄を決した試合です。そんな試合は後にも先にもこの一戦だけ。野球ファンの間では今でも語り継がれる名物試合です。

主将の青柳努が2回戦の組み合わせ抽選会で見事に(?)最高のクジをひきあてちゃったんですよね(笑) 主将の引いた封筒には南北海道代表の北海高校の文字が! 史上初の甲子園・北海道勢対決を、何と、私たちが担うことになりました。

北海道勢が同宿していた神戸のホテルでは「合同出陣式」が行われました。

佐藤茂富監督が両校の選手を向き合って整列させて言いました。「北海道の一番を甲子園で決められるなんて、こんな素晴らしい事はない。二時間の兄弟げんかをしようじゃないか! そうすれば前よりも、もっと仲良くなれる。」

お互いに手の内を知り尽くした北海高校はいちばん戦いたくない相手でした。普段から言葉を交わし合う「野球仲間」のような存在でしたが、抽選会以来お互い会話を避けるようになっていましたし、同じホテルの中で素振りの練習もそれぞれ違う場所で行うなど、昨日までと打って変わってよそよそしい状態になっていました。佐藤監督は、気まずい雰囲気になっていた両校の選手たちを気遣い、互いに力を出しきれるように「二時間の兄弟げんかをしよう!」と言ってくれたのだと思います。

試合には負けてしまいましたが、監督の言葉のおかげで思いっきり戦うことができました。試合後の整列では、思わず北海の選手たちと抱き合い、彼らの健闘を心底祈る事ができました。3万人を超える大観衆の拍手は強く、いつまでも球場に鳴り響いていました。

 

この時の私は、負けたことの悔しさよりも、精一杯やり切ったことへの充足感が強かったと思います。そして甲子園北海道勢対決という最高の舞台。競い合うだけでなく、相手を認め信じる事の素晴らしさ。この時の感動は私の一生の宝物です。

佐藤監督からいただいた言葉の通り、「社会人としてレギュラーになれるように!」今も頑張っています。

 

いまは、エコアハウスの「レギュラー」です。ただし野球部ではなく営業部の方ですが(笑)

太田 聡

花園展示場 次長

太田 聡

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